アニメ・ウマ娘3期はなぜ「失敗」したのか(批評)

2023年の冬アニメでは覇権確定と思われていたアニメがある、ウマ娘の3期である。競走馬を擬人化したウマ娘シリーズのアニメである。アプリのブームにも助けられ、2期は深夜アニメとしては異例のBD売り上げを達成し、実際作品のクオリティも高かった。

しかしふたを開けてみればどうにもこうにも期待外れな結果に終わったと言わざるを得ない作品であった。そこで筆者なりになぜ不満が少なくない結果になってしまったかを考察したい。

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競走馬へのリスペクトが感じられない

このシリーズは実際の競走馬をモチーフにするにあたってその扱いにはかなり神経をとがらせている。初期のころはおそらく無許可で名前を使ってしまったがために馬主の抗議で一部キャラクターが存在を抹消された、とまことしやかにささやかれ、二次創作を行う際もイメージを損なわないよう公式が注意喚起していることからもうかがい知ることができる。

だが、本作ではどうもこの観点で不注意な点が見られた。以下では代表的な2点を例示する。

①第5話マリアライト(リバーライト)への扱い(誰?)

5話ではキタサンブラックVSドゥラメンテの宝塚記念(2016年)が描かれた(URL参照)。ここでは両者の再対決を望むような流れにはなるのだが、実際に勝ったのはマリアライト(アニメでは許可が取れなかったようでリバーライトになっている)なのだが、そこでキタサンブラックが放った一言が、

「誰?」

であった。

この発言自体は、レースの前にドゥラメンテと会話したキタサンブラックが「誰?」と言われてショックを受けたことに対する一種のギャグである。ギャグであるのだが実際の競走馬の関係者やファンが見たら気分がよいものではないだろう。そもそもマリアライト自体が宝塚記念では8番人気と本命サイドではないにしろめちゃくちゃ大穴というわけでもないし、この時点でエリザベス女王杯を勝っているG1馬である。大穴馬なら馬鹿にしてもよいというわけではないが、このレベルのウマ娘に「誰?」と言っているようでは主人公であるキタサンブラックの印象自体も悪くなってしまう。

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②第13話トウカイテイオーによる「僕よりすごいウマ娘」発言

最終話でもある13話の問題発言。有馬記念を制しG1を7勝したキタサンブラックに対するトウカイテイオーの発言。なるほどたしかにトウカイテイオーはG1・4勝であり、7勝のキタサンブラックと比べれば「すごくない」。ただ本作ではG1の勝数を「すごさ」の基準にしていた。これは、G1を1勝=ルービックキューブの面が一つ完成と描写していたことからもある程度うかがい知ることができる。だが競走馬の「すごさ」の定義はこれだけなのだろうか。勝数、収得賞金、着差、勝った相手、実際の競馬では引退後の繁殖成績なんかも含まれるだろう。抽象的だが、トウカイテイオーがそうであったようにドラマ性(いわゆる記憶に残る馬)も当てはまるかもしれない。

こういった複雑な要素が含まれる「すごさ」をG1勝数に注目して「僕よりすごい」と言わせるのはいかがなものだろうか。こういった誰が一番「すごい」というようなある種の最強論争は定番の話題ではあるが極めて荒れやすい。キタサンブラックに対してG1・9勝のアーモンドアイの方が「すごい」といったらファンは納得するだろうか。そのアーモンドアイに対してG1・25勝のウィンクス(オーストラリアの競走馬)のほうが「すごい」といったらファンは納得するだろうか。名もなき競馬ファンの井戸端会議ではなく、テレビで放送されることからこの見方(キタサン>テイオー)は権威づけられてしまう部分も否定できない。公共の電波で気安く流してよい話題ではなかったように思われる。

また、単純に2期の主人公にこのような発言を行わせるとテイオーが引き立て役になったような印象を与え、2期のファンにも気分がよくない。競馬云々の前に慎むべき表現であった。

「衰え、引き際」というキタサンブラックとは相反するテーマ

本作では次第に衰えていくさまを悟ったキタサンブラックが引退を表明したうえで最後の有馬で勝つ。これ自体はアニメとしてみればよくあるテーマで特に批判する点も見当たらない。

しかし、本作は実在する競走馬をモチーフにした作品である。実際のキタサンブラックは衰えを見せず、有馬記念を圧勝している。大敗した宝塚記念に関しては敗因はよく分かっていないがその後のレースぶりを見ると衰えたから大敗したとは考えにくい。ぶっちゃけ後世になってそれぞれの成績を眺めると本作の主要キャラ(キタサン、ダイヤ、クラウン、シュヴァル、ドゥラ、サウンズ)のなかで最も衰えから遠かったのがキタサンブラックだったように思え、これをテーマにしたのは不適当と言わざるを得ないのではないか。

ぱかライブTVのコメント等からこのアニメのプロットは馬主の北島氏が確認していたといわれており、その点で不適当ではないという意見もある。しかし、当時の記録等を調べてもファンレベルではキタサンブラックの衰えを知ることはおそらく不可能かつ到底そう思うことができない状況であったのはほとんど間違いなく、関係者のGoサインを持ってこのテーマを適当と決めるのは行きすぎだと考える。

あってしかるべきレースの欠如(ダイヤ凱旋門、クラウン香港カット)

あろうことかサトノダイヤモンドの凱旋門賞、サトノクラウンの香港ヴァーズがカットされた。これらは放送前には当然描写されるであろうレースだと思われていただろう。とくに凱旋門賞に関しては、キタサンブラックとサトノダイヤモンドはセットで売り出されることが多かったこと、3期放映中に凱旋門賞が実際に開催されたこと、そしてなによりゲーム版のウマ娘が凱旋門賞シナリオを今まさに行っていたことからカットを予想できた人は一体どれだけいたであろうか。ダイヤ推しはもっと怒ってもよいと思う。

公式がこれらのレースを題材にしたと明言したわけではない。その点ではファンの勘違いだと言い張ることもできるかもしれない。ただ上述のように明らかに放送されることを期待されてもおかしくない世論だったのは事実である。また、3期は2期とは異なり12月になってサトノクラウンおよびシュヴァルグランをゲームに実装してきたことからアニメとゲームが連携できなかったという言い訳はできまい。脚本のミスであり、大河ドラマで主要登場人物の死亡(いわゆるナレ死)や重大事件のスルーが批判されるのと本質的にはほぼ同じである。

薄すぎるキャラクターの描写

3期からのキャラクターに対する描写があまりにも少なすぎて最後までよく分からんまま終わってしまった。サウンズオブアースに関しては正直に言ってなぜ登場させたのかわからないほど出番が少なく、許可が出るかどうかは別としてゴールドアクターやマリアライトの方が物語の展開的に活躍の余地があったのではないか。史実では怪我で引退してしまったドゥラメンテもレースでは登場させられずとも日常シーンでいくらでも使う機会はあったのではないか。

その一方でウマ娘ではないモブキャラに対する描写はやたら丁寧であり、キタサンブラック推しの商店街の人たちは冗談抜きでサウンズオブアースやドゥラメンテより出番が多かった。ウマ娘のライバル関係やレース描写よりこうしたモブキャラの出番をみたいという特殊性癖もちはおそらくそう多くないことは証明する必要すら感じないことである。1~2期から継続して登場するキャラもあからさまに優劣があり、ナイスネイチャはいいとして、みなみとますお(どうした急に兄貴)をあそこまで出演させる必要があったのだろうか。正直3期なので過去作のキャラがもてあそんでしまうことは13話という限られた尺ではやむなしで同情の余地はあるものの、やたらモブを引っ張る割に新規キャラの出番は少ないというのはシナリオに問題がある。

一方で本作のメインヒロインであるキタサンブラック周りも問題が山積である。前述のようにやたらと商店街のメンツが登場するせいか愛されウマ娘というわりにこじんまりとした印象を受けてしまう。また、レースへの心構えも2期のテイオーが無敗の三冠(後に無敗のウマ娘に変更)という目標があったのに対しキタサンは割と終盤まであいまいなままである(テイオーのようなウマ娘になるという目標は1話でドゥラメンテに粉砕されているしこれ自体もふんわりしている)。このあたりを終盤まで先延ばしにした弊害で天皇賞春でキタサンが覚醒したかと思えば宝塚で劣化したという描写が入るため歯車がかみ合わず、他のキャラを描く時間もなく雑になってしまった。尺を考えてももう少しテンポよくやってよかったと思う。

まとめ

1話でドゥラメンテを発表した時がピーク。

そういわざるを得ない。そのドゥラメンテも中盤以降は空気でキタサンと周囲のモブばかりでは盛り上がりに欠ける。とくにソシャゲ原作でキャラが多いんだからキャラの扱いにはもうちょい気を使ってほしかった。競馬を原作とするなら史実へのリスペクトがもう少しほしかった。

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