ポケモンの歴史(初代・赤緑)-ポケモンはここから始まった

リストラ騒動で炎上するポケモンソード・シールド。一つの時代が終わったという感じがあります。いい機会だと思ったので今までポケモンが歩んできた歴史を赤緑発売からソードシールド情報発表まで(初代から第7世代まで)振り返っていきたいと思います。今回はもっとも輝かしいであろう初代編です。

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当初の注目度は低かった。

ポケモンの言わずと知れた第1作目の「赤・緑」は1996年2月27日に発売されました。今でも2月27日にポケモン公式が新しい情報を出すことが多いのはこのためです。

しかしこの作品は現代とは違い、最初から注目作になったわけではありませんでした(シュールなCMを打っていたようですが)。初週売上は11万本とも23万本ともー後者は出荷本数説が有力ー言われています。2作目以降は初週でミリオンも珍しくないのでポケモン基準で言えば初週は爆死と言っていい売上です。しかし、コロコロで取り上げられたり、口コミで評判が広まったりした結果、じわじわとブームに。とくに口コミに関してはネットもほとんど普及していない時代にセレクトバグ関連のうわさがあちこちで広まっていたらしく相当力を持っていたことがうかがえます。最終的に800万本を超えるヒットとなり、窮地に陥っていた携帯ゲーム市場を盛り上げる一因にすらなります。

このゲームを開発したのは、かのゲームフリークです。ポケモン生みの親と言われ、同人サークル時代のゲームフリークを主宰していた田尻智、キャラデザの杉森建、作曲の増田順一らが中心でした。ポケモン制作は非常に難産だったようで社員の退職とうに悩まされながらも何とか発売までこぎつけたようです。バグまみれだったけど。

ちなみに当初はカプセルモンスターという名前でカリスマ度を上げてモンスターを仲間にする方針だったとか。ゴロも微妙に悪いし、変更は英断だったように思われます。

口コミをもとに空前の大ヒットとなったポケモン赤・緑。育成ゲームの金字塔として歴史に名を遺したことは間違いありません。1996年10月には「青」バージョンが発売、現在まで続くポケモンカードの登場、1997年4月にはアニメも始まり、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

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ポリゴンショック

しかし事件はアニメで起こります。1997年12月16日、画面を激しく点滅させる技法によりこれを見ていた子供たちが倒れ病院送りになったのです。実際にはピカチュウの技が問題でしたがピカチュウを降板させるわけにもいかず、この回メインであったポリゴンが冤罪で処罰されたためポリゴンショック事件とも言います。これによりそれまでのブームとは打って変わって大バッシングが起こります。アニポケの放送も休止に追い込まれます。ポケモンシリーズ最初の危機と言えるでしょう。

しかし、アニメ再開を望む声も多く、1998年4月にはアニメが再開され、現在に至ります(放送開始時刻が火曜18時30分から木曜19時に変更)。なんとかこの危機は乗り越えました。

映画化とピカチュウバージョンの発売

1998年夏にシリーズ初の映画、「ミュウツーの逆襲」が公開。非情にシリアスかつメッセージ性の強い作品で以後の作品と比べると異質ともいえます。興行収入は70億越えで歴代一位、3Dリメイクも2019年に公開され、ミュウツーはまさに別格といえます。また1999年にはアメリカでも公開され大ヒット、前年発売のゲームも含め世界のPokémonが誕生しました。近年では当たり前となった日本人ユーザーは得をしないポケモンの世界戦略の始まりとして注目すべき点だと思います。

アニメで主役だったピカチュウが主人公の「ピカチュウバージョン」が発売。いわゆるマイナーチェンジ作品でポケモンシリーズでは初となります。ピカチュウだけとはいえ連れ歩きがあることで有名な作品でもあります。

その他の外伝作品としては「ポケモンスタジアム」や「ポケモンカードGB」等多く発売されました。ポケモンの後追い的なゲームも多く発売されましたが当時のポケモンは強く、ほとんどの作品の挑戦を退け、わずか2,3年で子供向けゲームブランドとして覇権的な地位を築き上げたのです。

まとめ

ほとんど無名だったゲームが口コミで一躍ヒット。アニメ、映画、カード等といったメディアミックス展開で世界に名をとどろかすシリーズになりました。おそらくシリーズで最も勢いがあった時代と言えるでしょう。この勢いは金銀初期の頃までは続いていきます。

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